専修大学育友会
第60回全日本大学サッカー選手権大会 初出場・初優勝までの軌跡
〜関東大学サッカー1部リーグ初優勝〜
体育会サッカー部
執筆者 経営学部経営学科3年 櫻井 暁大
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1. はじめに

私たち専修大学体育会サッカー部は、創部50周年を迎えた昨年度(2011年度)の関東大学サッカー1部リーグで、昇格チームながらも初優勝をし、続く全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)にて念願の初出場・初優勝を収めた。

チームの紹介を簡単にすると、練習は専修大学生田人工芝グランドを拠点としている。1962年に創部して以来、チーム理念・指針の一つである「社会で活躍できる人材の育成」、「人間力を高める」ことに重点を置きながら、平日の早朝と休日の午前のみという限られた時間の中で日々のトレーニングに集中して取り組んでいる。

2009年の関東大学サッカー1部リーグでは11位となり、2部に降格してしまったが、その悔しさをバネに翌年2010年度の関東大学サッカー2部リーグで優勝し、最短での1部復帰を果たすことができた。そして2011年度、今回の素晴らしい結果を収めるに至った軌跡をいくつかのエピソードを交えながら紹介する。

2. チーム始動

私たちのチームコンセプトは、相手に何点取られようと、相手よりも点を奪い、大学サッカーを見に来てくださったお客様を楽しませ、魅了するような「攻撃的で美しいサッカー」である。

2010年度の関東大学サッカー2部リーグで、圧倒的な攻撃力をして2部を制した時の4年生が抜け、各選手にさまざまな面での不安があったものの、主将の庄司悦大(当時経済4・現FC町田ゼルビア)が目標として掲げたのは全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)優勝である。私生活とサッカーとの両面で強い気持ちを持ち、リーダーシップを発揮しチームを引っ張ってゆく主将がこういった目標を掲げたが、もしかしたら他のメンバーの中には難しいと思っていた選手がいたかもしれない。

そこで、池田裕樹(当時商3)のアイデアで毎日のチーム練習前にメンバーで手をつなぎ円陣を組んで「俺はできる」と3回みんなで言うことにした。1部リーグ初挑戦の選手が多い中で、こういった毎日繰り返して言う、言葉での意識付けは大きいように思えた。私たちは迫りくる関東大学サッカー1部リーグ開幕へ向けて、新入生を交えて毎日短い時間の練習に集中して取り組んだ。

3. 前期リーグ開幕延期

写真
2011年5月3日、
関東大学サッカー1部リーグ開幕
先に関東大学サッカーリーグの簡単な説明をすると、関東大学リーグ1部に所属の12大学(2011年度は、専修大、明治大、慶應義塾大、筑波大、早稲田大、国士舘大、順天堂大、流通経済大、神奈川大、中央大、駒澤大、青山学院大の12大学)で総当たり戦(前期リーグと中断期間をはさんだ後期リーグ各11試合の全22試合)を行い、優勝を競う。試合は、前半後半45分ハーフ・延長戦なしで行われ、勝てば勝ち点3、引き分ければ勝ち点1、負ければ勝ち点0となる。インカレの出場権は全日程終了時の上位4チームまでとし、11位、12位の下位2 チームは翌年度の関東大学リーグ2部へ自動降格となる。

私たちはリーグ戦に向けて日々練習を行っていたが2011年3月11日、あの日本を震撼させた東日本大震災が起きた。実家が被災にあった部員もいた。4月開幕予定だった関東大学リーグは1カ月延期になり、予定されていた合宿も中止になった。日本が大混乱の中でも毎日変わらず練習は続いた。被災により地域のプロサッカーチームは練習ができないという事態に陥ったにもかかわらず、自分達は幸運にも毎日練習ができるという環境に感謝しながら、開幕を待った。

そして5月3日、平塚競技場で関東大学サッカー1部リーグ開幕を迎えた。第1節の相手は前年度4位の駒澤大学、多くの有名なプロを輩出しているサッカー名門大学である。

この試合の前には震災復興に向けてのコンセプト「チカラをひとつに。FIGHT TOGETHER」が発表された。選手は喪章をつけ試合前に両チームがコンセプトフラッグを前にして全員で写真を撮り、その姿は会場にいた両チームの部員やお客様からの拍手に包まれた。

そんな中行われた1部リーグ復帰試合は、スコアレスドローの引き分けに終わった。初戦にしては、1部のチームを相手に悪くはない結果といえるものの、「攻撃的で美しいサッカー」と呼ぶにはまだまだの内容だった。
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