帰国後、スワヒリ語を忘れてなるものか、という一心から、スワヒリ語圏の人々との接触の機会を模索した。
まず帰国当日からケニア大使館へ行き、友達になってくれと大使にお願いした。大使は快く受け入れてくれた。以後、頻繁に大使館へ足を運び着々と人脈を拡げ、その結果、アフリカ諸国の大使館の大使が集まるパーティーや、自宅に呼ばれるようにもなった。
大使のところへ遊びに行ったある日、思わぬ情報を頂いた。年に1度、創価大学でスワヒリ語スピーチコンテストが開催されるから出場してみなさいというものだった。現地に行ったのは、わずか1年だったので、大学で専門に4年間勉強している人々にかなうわけがないと最初は弱気だったが、本番まで半年も準備期間があることを知り、出場を決めた。
現地で生活していて感じた人々の強さや優しさ、ハプニング話を交えながら、タンザニア人の友達に何度も添削してもらい草稿を手直ししていった。本番での審査基準は、スピーチ4分、ジェスチャー、審査員であるスワヒリ語圏の各国大使の質疑応答だった。弁論者は創価大学スワヒリ語学科生、大阪外国語大学スワヒリ語学科生、早稲田大学でスワヒリ語の授業を受けている学生と、肩書きが立派な学生達だった。だが私は我が専大をかなり誇りに思っているので、そんな肩書きは気にせずコンテストに挑んだ。
1人終わり、2人終わり、私の番が回ってきた。私の紹介が終わり、いよいよスピーチを開始した。最初の一言で会場がどよめくのがわかった。文法や語彙が他の学生より劣っていたかもしれないが、現地で悪戦苦闘して訓練したお陰で発音が良かったようだ。スピーチの内容を聞き、大使たちが笑っているのが分かった。スピーチが終わり、質疑応答に入った。他の学生達は、1回で質問が聞き取れず何度も聞き直したり硬直状態に陥っていたが、私は一発で聞き取り質問に答え、会場を笑わせた。全てが終わりお辞儀をすると、会場から大きな拍手が沸き起こった。感触は最高だった。
審査の結果は、残念ながら3位までに入賞できなかった。入賞を逃した理由は、スピーチ時間が超えていたのと、ジェスチャーが少なかったからのようだ。確かに入賞した学生達は、ジェスチャーが豊富で、しっかりと暗記をしていた。感触が良かったと思っていただけにとても悔しかったが、表彰式が終わりに近づいてきた時、審査員から意外な発表があった。
「ここで本来表彰式は終わりなのですが、審査員特別賞を作りました。アフリカ人の気持ちやアフリカの事を一番理解している人、私たちを笑わせてくれ、衣装を現地風に着てくれた富松可奈子さんに、審査員特別賞を与えたいと思います。」
ビックリ仰天したが、嬉しかった。異例の特別枠で賞がいただけるとは、普通に入賞するより価値があると思った。このコンテストが始まって以来、初の審査員特別賞だそうだ。どんなもんだい、と、胸を張って表彰を受け、私のスピーチコンテストは幕を閉じた。
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