専修大学育友会
第47回全日本学生ローラースケート選手権大会優勝への軌跡
−女子 スピード部門準優勝・ホッケー部門優勝・総合優勝−
専修大学体育会ローラースケート部
2005年10月、長野県で行われた全日本学生ローラースケート選手権大会で、体育会ローラースケート部女子チームは、総合優勝という成績を修めた。

通称インカレと呼ばれるこの大会は、全国から各大学が集い、日々の練習の成果を競い合う、一年を締め括る大会である。スピード部門とホッケー部門に分かれ、両部門を合わせて総合成績が出される。女子チームは、スピード部門準優勝、ホッケー部門優勝という結果から、総合優勝を勝ち取った。

創部して今年で48年という長い歴史を持つローラースケート部は、男子部員が中心に活動してきた。数多くの大会で栄光の記録を残している、ローラースケート界の名門である。女子部員も過去にいたが、スピード、フィギュアの選手が主で少数であった。 女子がホッケーチームを結成しインカレに出場できるようになったのは、1993年からである。この間総合優勝6回、スピード部門優勝8回、ホッケー部門優勝2回の成績を残している。しかし、スピード部門優勝に比べホッケー部門の優勝が少なく、また、前回の優勝は8年も前のことだった。 8年ぶりに優勝できたホッケーを中心に「第47回全日本学生ローラースケート選手権大会優勝への軌跡」を綴りたいと思う。

入学当初、新入生歓迎会の時に偶然出会ったローラースケートという存在。

(ローラースケートって何…?)
(昔一度履いたことがあったかも…)

ローラースケートという言葉を聞いたことはあっても、認知度、経験は誰もがこの程度。ましてや、スポーツとして成り立っている、ローラーホッケーという競技がある、ということを知る者はほぼいないに等しい。部員達のスタートは、ローラースケートを履いて、まず滑ってみる、というところからだった。

四輪のタイヤは不安定で、入部当初は皆、前にも後ろにも転んでばかり。いとも簡単にスイスイと滑りこなす先輩に、羨望の眼差しを向けていたものである。それでも、先輩に手を引かれ、手すりに掴まり、やがて一人で滑れるようになってくると、自分の上達の度合いが目に見えて感じられるようになった。転ぶことが少なくなり、滑ることで風を感じる瞬間に、心地よさを感じた。足元がおぼつかない中、先輩に言われるがままに、ホッケーのスティックも握った。滑ることすらやっと、という状態でのパックの取り扱いには、ほとほと閉口した。しかしその反面、ホッケーの面白さに瞬く間に魅了されていった。

ローラーホッケーとは、その名の通り、ローラースケートを履いて行うホッケー競技である。フィールダー4人にキーパーが1人の5対5で、20分ハーフ40分の試合を行い、各チームの得点数で勝敗が決まる。木製のスティックでパック(硬質ゴム製のボール)を操り、相手ゴールにシュートを放つ。ローラースケートを履いて滑れることが絶対条件であり、それに加えて、スティックとパックを操る技量が問われるという、非常に難しいスポーツだ。
一年生にとっては、ローラーホッケーという競技どころか、まず走る(滑る)ことから習得しなければならない、全く未知のスポーツとなる。 先輩に指導されながら、基本の基本から始めた部活動。初めのうちは、見る間に上達していった。自分でもそうとわかるからこそ、喜びを感じ、さらに練習に身が入った。

10月に行われる、全日本学生ローラースケート選手権大会は、一年間の集大成。この大会で4年生は引退し、代替わりとなる。 2003年10月、4年生引退後の女子の新チームは、次期4年1人、次期2年6人という、異例のチーム編成だった。チームの主体となるのは、まだローラースケートを始めて間もない新米ばかり。ローラーホッケーのことなど、ルールすらよく分かっていない初心者ばかりである。また女子だけでなく、この年度は、男子も似た状況だった。4年生が1人、3年生が1人、そして残りは2年生以下。そんな中、他大学は4年生や3年生が主体のチーム。専修大学チームは男女共に、非常に厳しい状況下に置かれていた。

そして、練習は格段に厳しくなった。
練習日が増え、練習時間が延び、練習内容も濃くなった。

今考えれば、4年生が最後のインカレで勝てるチームを作るためには、初心者である私達を上達させる、そのためにひたすら練習をする、それ以外に方法がなかったのだと思える。だが当初は、あまりの変貌ぶりに戸惑いを覚え、苦しみ、先輩を恨むことすらあった。それでも、練習に練習を重ねて過ごした辛く苦しい一年間は、その後の活動への強い原動力となったと言える。2004年のインカレでは、ホッケー部門は結果が残せなかったものの、スピード部門では男女共に優勝という成績を収めるまでに至った。

2005年度の女子新チームは、4年生のいない、3年生以下のみのチーム。
一年間、数多くの試合経験を経たことで、徐々に実力が付いてきてはいた。しかし、4年生不在である状況が厳しいことに変わりはなかった。私達のチームには二年間の猶予がある。現時点では他大学に勝つのは難しいかもしれないが、長い目で今後を見据え、インカレを最終目標にしよう。その間の大会で、徐々に力をつけていこう、という話し合いを行った。

コーチとの連携も、怠らなかった。幸いローラースケート部では以前から、日本代表経験者であり現役でホッケーを続けているOBに、コーチとして指導してもらっている。先輩のいない私達のチームには、コーチの存在が不可欠だった。足りない部分を問い、必要な練習メニューを組んでもらった。筋力不足をコーチに指摘され、一週間のメニューの中に筋力トレーニングを導入した。それまで一年間ひたすら耐え抜いてきた練習量は、落とさなかった。むしろその内容は、さらに濃くなったと言えるかもしれない。

12月には毎年、新人戦という、ローラーホッケーを始めて2年以下の新人達のみが参加できる大会が行われる。5人全員2年生で作ることができる私達のチームは、1年生が混じっている他大学よりも明らかに有利で、優勝して当然、とも言えるくらいだった。 ところが2004年12月の大会での結果は、7チーム中4位。当然優勝するつもりでいた私達は、自分達の不甲斐なさに、悔し涙を流した。

翌年から、決意を新たに、今まで以上に厳しい練習に臨んだ。滑る量は一段と増えた。基本となるパスなどの、地道な練習も積極的に取り入れ、試合前の調整も毎大会ごとに行った。試合後はビデオを見てミーティングをし、不足部分を補うメニューを、次の練習に取り入れるようにした。 それでも、初めはなかなか結果が出なかった。ほぼ2カ月おきに開催される数々の大会では、社会人チームと戦えばその実力差を見せつけられ、学生同士のリーグ戦では拮抗した末に順位は転落、という、散々な結果ばかりだった。

常に高いモチベーションを保ち続けることも、困難だった。勝ちたい、勝たなければ、という気持ちを持って試合に臨むことがどんなに重要なことか、思い知らされたのもこの時期である。各大会の合間に組まれる練習試合。やる気、試合に向かう気持ちが足りず、だらしのない試合をし、コーチに叱られることが何度かあった。1人でも気持ちが違えば、チームは途端にバラバラになる。チーム競技の難しさを、つくづく感じた。

ようやく努力が実り始めたのは、2005年8月の、全日本女子ローラーホッケー選手権大会からである。全国の大学チームと社会人チームが集まり、ローラーホッケー競技を行うトーナメント。ここで私達は初めて、第3位に入賞できたのである。それまで結果の出なかったチームの初の上位入賞。それも全日本という名誉ある大会において、他大学を抑え、社会人チームに継ぐこの結果は、私達に大きな自信をもたらした。

さらにこの大会の上位4チームには、秋田県で開催される「カップ戦」への切符が渡された。多くの試合経験は、どんな練習よりも成果を上げる。いつもと全く違う環境での試合。その大会の経験は、私達の大きな糧となった。

そして迎えた、2005年10月の、インカレ。
最後の大会ではなかった。私達にはあと1年残されていた。それでも、インカレという大会は、一年間やってきたことの、集大成となる。当然目指していたのは、優勝。 初戦を勝ち抜き、息をつく間もなく、二回戦の相手はそれまで一度も勝てたことのない、最も苦手としていた大学だった。苦手意識を持つことが良くないことだとわかっていても、その気持ちをどうしても拭いきれぬまま、試合は始まった。

嫌な予感は的中した。相手チームに得点を先取され、こちらからゴールを奪えないまま、試合時間は刻々と過ぎていったのだ。そして残り時間は、5分を切った。 それでも、私達は決して諦めなかった。厳しい練習を乗り越え、ここまできたのだ。自分達を信じるしかなかった。それまで耐えてきた練習が、私達に強い意志をもたらしていた。最後まで絶対諦めない、そんな想いで、皆必死で戦った。
そして、私達は、大逆転を起こした。

残り3分を切ったところで、立て続けに、2得点を決めたのである。そのまま試合は終了。2-1という結果で、見事、逆転勝利を収め決勝戦に進むことができた。 決勝戦は、それまでの数々の大会で、常に五分五分で勝ち負けを繰り返してきた相手だった。決して簡単な相手ではない。油断をすれば足元をすくわれてしまう。それでも、決勝まで残ることができたのだ。優勝の文字が目の前をちらつき始めている。ここまできたら、勝つことしか考えられない。
緊張感溢れる中、コーチから、これは私達女子チームの栄誉のためだけでなく、引退する先輩のための試合でもあるのだと言われた。ただ1人引退する4年生男子主将。優勝を果たすことが出来なかった先輩に代わり、私達が優勝を勝ち取るのだと。

その言葉に、私達の結束はより一層高まった。優勝を手にし、華々しく先輩を見送るのだ、と強く決意し、試合に臨んだ。

結果、1-0で、勝利。
女子チーム、ホッケー部門優勝は、快挙だった。それも、4年生のいない中での優勝。8年ぶりの優勝であるとコーチに言われた時には、言葉にできないほどの喜びを覚えた。仮にも、この瞬間、私達は大学のトップとなることができたのである。

辛く、厳しい練習を乗り越えてきたからこその喜びだった。
その苦しみを乗り越えるにあたり、私達の周りでは多くの人達が支えてくれていたのだと感じる。

大学のリンクで私達は思い存分に練習に打ち込むことができた。それだけに結果が期待されているのだと思うと、自然と練習にも力が入った。監督を初めコーチ、OB、OGも、日々私達の活動を支えてくれた。様々な支援を受け、また実際試合会場に足を運んで応援してくれたことは、大きな励みとなった。 家族や、その他私達を陰で応援してくれた人達は、振り返れば大勢いる。本当にたくさんの人の支えがあったからこその、結果だと思う。

私達は、部活動を通じ、自分達の力を信じ諦めず努力し続ければ、必ずそれは報われるのだということを、強く実感することができた。この優勝という最高の経験は、スポーツだけに留まらず、今後の人生の中で何をするにおいても、私達に強い力を与えてくれることになると思う。