専修大学育友会
バレーボールと世界
商学部会計学科3年 行武 広貴
はじめに

スポーツを通じて世界を感じる。スポーツは言葉の壁を越えて楽しめると私は考える。スポーツは世界中の人々に愛されており、中でも私はバレーボールを愛する一人でありバレーボールにより世界とつながっていると考える。 2005年11月、バレーボールの世界大会「ワールドグランドチャンピオンズカップ」が日本で開催された。私は大会に先立って行われた日本女子チームとブラジル女子チームの合同合宿の際、8日間ブラジル女子チームの通訳随行を務め、2006年夏には、バレーボールの世界大会「ワールドグランプリ」において、全日本女子バレーボールチームのアナリストとして香港ラウンド、マカオラウンドにて活動した。また、10月31日から開催される「2006年バレーボール世界選手権」でもブラジル女子チーム、同大会の事前合宿でもアメリカ男子チームの通訳随行として活動する予定である。 こうした恵まれた機会を経験できるのも専修大学に入学し、様々な方々のサポートのお蔭であると感謝している。

1.バレーボールとの出会い

私は大学合格と同時に母校である都立国際高等学校の女子バレーボール部のコーチを始め、バレーボールの魅力に惹きこまれていった。元々、大学受験の際に行きたい学部・学科に受からなかった私は、何に対して力を注ごうか悩んでいた事もあったが入学したからには学部の学習はもちろん、学外での活動に力を注ごうと思っていたのでバレーボールのコーチはとてもやりがいがあった。本屋に置いてあるバレーボール関係の本はすべてと言って良いほど読み漁り勉強した。また、バレーボールの専門知識を身に付けたいと思い、大学の体育の授業でバレーボールを選択し自分がコーチをやっている旨を伝えた。その教授が現在私の所属しているゼミナールの教授、吉田清司教授を紹介してくれた。通常ゼミナールの受講者は3年次からだが私は吉田教授に頼み、2年次から受講させていただいた。吉田教授とそのゼミナールの先輩(現在、日本ナショナルチームのアナリスト)は日本バレーボール協会とも関わりのある方々だった。

私は中学時代にバレーボール部に所属しバレーボールの楽しさを覚えたが、父の仕事の都合で1997年9月から2000年8月までの三年間アメリカに滞在していたためバレーボールから遠ざかっていた。言葉の壁があったのですぐに友達を作ることが出来ず不安の毎日だったがクラブ活動が始まってからそんな不安は吹き飛んだ。クラブ活動はバレーボール部がなかったためサッカー部に所属した。言葉はなかなか通じなかったが一緒にプレーしているうちに友達が出来、学校生活から不安が消え楽しく生活できた。 このような中学時代を送ったこともあって、私は大学で吉田教授と先輩に出会ってからいつの日か私の英語力を使ってバレーボールに携わりたいと思うようになっていた。

2.世界の舞台へ

世界の舞台へ
2005年10月中旬、先輩の紹介もあって、日本バレーボール協会から「ブラジル女子ナショナルチームの通訳随行」としてのお話を頂いた。 そのような大役が私に務まるのかと思ったが、世界のバレーボールを生で見られる、私の英語力を使えるチャンスを無駄にしたくないという思い、そして何よりもバレーボールを通じて海外のチームに携われる事が嬉しく思い、やらせて頂きたいと返事をすることにした。しかし、日本バレーボール協会を代表してブラジル女子チームに関らせてもらうからには、学生という立場ではなく、一人前のスタッフとして行動をせねばならないと思い、まずブラジルについて勉強することにした。

ブラジル女子チームが日本での合宿を心地よく行えるよう思いついた事は率先して選手、スタッフに提案した。8日間ブラジル女子チームのお世話をさせてもらい、ブラジルでの生活、練習時のオンとオフの切り替えの早さ、バレーボールに対する情熱、様々な事を勉強させてもらった。

また、大学のゼミナールでの学習により、2006年夏に行われた同じくバレーボールの世界大会「ワールドグランプリ」の際、全日本女子バレーボールチームのアナリストとして香港ラウンド、マカオラウンドにて活動する機会に恵まれた。 私は吉田教授のゼミナールで大学2年次から「球技系スポーツにおける戦術分析」というテーマを履修し、客観的情報を使ったバレーボールの戦術分析を勉強していた。それまでアナリストという情報収集・分析を担当する専門スタッフがいる事など知らなかったが、私は高校でコーチ活動をしていたせいかすぐにバレーボールにおける客観的情報の重要性を感じた。また、バレーボールに関わる事にはすぐ熱中してしまうため私もアナリストの勉強をしたいと思った。バレーボールというスポーツは、ネット越しに対峙するネット型競技の一つでローテーション、ポジション、また、いくつかのセットプレーで始まり、三回しかボールに触ることが出来ない競技である。そのため他のスポーツより情報収集・分析がしやすく、今や大学リーグでもビデオ撮影、情報収集・分析活動は当たり前となっている。

スポーツの世界では昔から「根性論」や「精神論」が論ぜられるが、近年では科学的な根拠をもとに競技スポーツのパフォーマンス向上を目指す事が多い。私は中学時代、絶対的指導者の元、精神論重視の練習をやらされてきたが、試合の敗因、勝因を考えるのが好きだった。それは気持ちが入っていないプレーだったからだという精神論的に考えるのではなく自分たちと相手のパフォーマンスレベルの差はどこにあるのか、というものであり、試合後客観的数値を示したスコアブックを見ていた。チーム内で一番うまくなりたいと思うと同時に競技スポーツである以上相手の存在を常に意識して練習していた。中学時代のなぜ負けたのかと自問自答する癖のおかげで、客観的な情報を有効に使い戦術を組み立てるアナリストを重要視する近年のバレーボールがとても魅力的で私もアナリストになりたいと思ったのだ。

2005年ワールドグランプリ
2005年ワールドグランプリの際は会場がいくつかあったので、日本女子チームが次のラウンドで戦う対戦相手の情報収集・分析担当アナリストとして一人で世界のバレーボールを見てきた。アナリストというスタッフの存在を知ってから、いつの日か日の丸を背負って活動したいというのが私の大学在学中の目標だったので日本バレーボール協会からお話を頂いた時はとても嬉しかった。香港、マカオに滞在中、バレーボール関係者はもちろん街中の人々と話すのに英語を使った。日の丸を背負う日本女子チームのアナリストとして恥ない行動と責任ある行動をしたいと考えていたので、私に与えられた活動はもちろんだが、せっかくの異文化に触れる良い機会を頂けたので出来るだけ現地の人々に話しかけバレーボール以外の話もした。香港、マカオ両会場で20人もの友達が出来た。私が日本のジャージを着用していたからかもしれないが今後は一人の日本人としても仲良く付き合っていきたいと思う。

また、この度10月31日から「2006年バレーボール世界選手権」、通称『世界バレー』と呼ばれる世界大会が日本の各地で開催される。今回も大会に先立って、日本女子チームとブラジル女子チームの合同合宿が10月23日から29日の期間で行われる。私はまたブラジル女子チームの通訳随行として活動する予定である。今回も前回のワールドグランドチャンピオンズカップの時と同様に、ブラジル女子チームのために精一杯活動したいと思う。日本人として日本女子チームのアナリストを経験したことで、ブラジル女子チームのサポートをするというのはいささか難しい感情にさせられるが、私の活動により日本女子チームのためにもなるはずであろうし、今後の私のバレーボール人生にも大いにプラスになると考えている。そして、二度目の今回は私にしか出来ないブラジル女子チームのサポートをしたいと考えている。やるからにはブラジル女子チームからも日本女子チームからも必要とされる行動をし、貢献したいと思っている。

3.これからの目標

私は専修大学に入学し、バレーボールを通じて多くの方々のサポートを得て、いま貴重な経験をさせていただいている。吉田教授や先輩をはじめ、学長室企画課、通訳の面では文学部の教授にご指導いただいたり、教務課の事務の方々にも支援いただいた。 これからは、こうした多くの大学関係者の方々の支援を誇りに、人としてもっと成長していきたいと思う。通訳随行もアナリストも、一度は止めた大好きなバレーボールを通じて経験できるようになったものだ。せっかく大好きなバレーボールに出会え、時間を費やせる学生の今のうちに、私にしか出来ない事をもっと見つけたい。そして今後ともバレーボールを通じてグローバルな視野を持ち、通訳もアナリストも一人前に出来るよう精一杯力を注いでいきたいと考えている。

そしていつまでも世界中でスポーツが愛され続け、言葉の壁を越えて楽しまれるよう私が出来る事をやり続けたい。