|
|
法学部法律学科4年 中村 圭太 |
初めに、私が格闘技をやり始めたきっかけは、テレビで田村亮子が活躍しているところを見て憧れ、柔道を始めたところから始まりました。小、中、高と柔道をやり続けた中で、柔道を通じて知り合った友人から総合格闘技(打撃、投げ、関節技、絞め技、全て有効な格闘技)という競技を聞き、「男だったら腕っ節で強くなければ駄目だ」という小さい頃読んだ漫画か何かの影響を受けた考えから、「何でも有り」というルールで野蛮かもしれませんが、強さの究極を求めるような競技にとても興味をそそられて始めました。
総合格闘技を始める直前までは、専修大学附属高校柔道部に在籍していましたが、三年生で、高校柔道部から参加できる柔道大会が全て終了し、柔道部を引退したところから、前々から興味があった総合格闘技の道場に通い始めました。通い始める前からプロになるつもりでやっているつもりでしたが、今、振り返るとまだアマチュア気分でマイペースに練習していたように思えます。逆にそれが良かったのか、マイペースながらも練習を続けられ、高校も無事卒業、大学も入学でき、始めてから一年がたった頃、ある程度強くなってきた実感も持てるようになりアマチュア大会に出ることを決めました。
総合格闘技は、ボクシングのようにプロテストなどは無く、アマチュア大会での実績が認められた場合によりプロ昇格、そして、プロモーターからオファーが来るというようなシステムになっています。ですが、一口に総合格闘技といっても色々な大会があるので、中にはそうではない例外、例えば元ボクシング新人王、何らかの格闘競技の五輪出場者などの実力者はいきなりプロデビューを認める大会もあります。
自分はその例外には漏れてしまっていたので、アマ大会出場で実績を作りプロになる道を目指しました。最初の総合格闘技大会デビュー戦は、総合格闘技というものの試合の雰囲気を掴もうとワンマッチという一日一試合しかしなく、精神的に負担の少ない大会を選んだ結果、チョークスリーパーという、後で得意技になる絞め技で一本勝ちすることができました。ここで勝つことが出来て若干の自信も付いたので、次はプロに繋がるトーナメントに出場し東京予選をオール一本勝ちで優勝。全国大会でもオール一本勝ちで優勝をすることが出来ました。そして、この実績が認められ念願のプロデビューという目標を達成できました。
この頃は、出る大会全部一本勝ちして少し天狗になっていたかもしれません。そして、2003年12月27日プロデビュー戦では、自分の実力を過信してしまった私は、打撃では優位に立ったところが、寝技では相手のペースにはまってしまい、プロデビュー戦ドローという不本意な結果に終わりました。この時点では、デビュー戦ドローになってしまったし自分は大した選手にはならないのか、と不安になっていました。しかしそれでも、練習あまりしてなかったからドローだったのだ。次は勝てる。と、根拠の無い自信を持ちつつデビュー戦の辛苦により以前より身を引き締めて練習を続けていました。この試合後には、専大新聞に取り上げていただき、試合へのモチベーションになりました。
第2戦では、キャリアも評判も良い選手で、プレッシャーを感じながらもなんとか判定勝ち。
第3戦では、デビュー戦の相手へのリベンジマッチとなりました。あれから半年、前回からの成長が発揮できた結果を出すことができました。それでも判定勝ちで、3戦して一本勝ちが無い自分を不甲斐なく感じていました。
4戦目では、これまで3戦出場してきた登竜門的大会「デモリッション」での実績が認められ、一つ大きな大会「修斗」というところからオファーが来ました。これは、自分がアマチュア全国大会を優勝したとき考えていた、プロの大会に出場するなら、「修斗」か、もうひとつの大会「パンクラス」かで、どちらも平行して出られないということで悩み、修斗に出ることに決めたので、また一つ目標を達成する事が出来ました。この大会へのデビューを契機に「中村K太郎」というリングネームも付けてもらいました。そこでの1戦目はチョークスリーパーで一本勝ちすることも出来、プロで一本勝ちすることも出来ました。
5戦目では、また凝りもせず天狗になったり、彼女が出来たりなどで練習をさぼってばっかりいたら、やはりドローという結果になってしまいました。ここで負けていたら無敗記録も無かったので、負けなくて良かったです。
6戦目は、修斗からのオファーも無かったので、デモリッションに出場しました。相手はあまり実績も無い選手でプレッシャーも無く、一本で勝つことが出来ました。 7戦目、また修斗からのオファーを受けます。判定で勝ちましたが、内容は大して積極的に攻める訳でもないのに、調子に乗った態度で試合していて後で映像を見ると恥ずかしくなるようなものとなってしまいました。
8戦目、更に修斗です。相手は一つ上の階級から落としてきていた選手で体格も良く、試合前不安がっていましたが、試合が始まって夢中で攻めてみれば、自分のペースで試合を運ぶ事が出来、判定勝ちすることが出来ました。しかし、あれくらい余裕があったら一本勝ちも狙えた筈だ、と、大きな課題が出来、反省することになりました。
9戦目、この頃は、判定勝ちが続き練習をしても楽しむことが出来ず、通い始めたボクシングの方に傾倒していっていました。総合格闘技で引退して、ボクシングに転向することも考えていました。しかし、この試合でチョークスリーパーにより一本勝ちすることで、また試合で一本勝ちすることに味を占めて引退はせず続けることを決めました。
10戦目、この頃になると、チョークスリーパーのK太郎というのが少しずつ定着してきたように感じて毎回チョークスリーパーで決めてやる、という意気込みで試合に臨んでいました。そして、この試合は初の国際戦で実績も良い選手に精神的な重圧を感じていましたが、序盤打撃で苦しめられるも、スタミナ切れした相手からパンチでダウンを奪い、寝技に持ち込むとチョークスリーパーでまた一本勝ち出来ました。手前味噌ですが、10戦無敗というなかなか居ない実績の持ち主なのに、なぜ各格闘雑誌は自分をほったらかしにしておくのか、と、憤り、とは言いすぎですが、もっと注目してもいいじゃないか、という名誉欲に駆られていました。
11戦目、そんな名誉欲を満たすためにも負けられないオファーが来ました。修斗の新人王トーナメントです。これを優勝すれば修斗の世界ランキングにランク入りすることも出来、箔もつくし、それにより注目され名誉欲も満たされると思っていました。モチベーションも高く保ち臨んだ新人王準決勝は、やはりチョークスリーパーで勝つことが出来ました。
12戦目、修斗の大会スケジュールの関係か前回からひと月しか間隔を空けず試合が組まれました。そこでは、相手の圧力に押されあまり自分のペースでの試合運びが出来ず、試合前に考えていた組み立ても潰され、なんとか打撃、ポジショニングで上回った自分が判定勝ちを収め新人王を獲得しました。それでも、雑誌からの取材などは無く名誉欲が満たされることはありませんでした。
13戦目、専修大学法学部は三年次から四年次に上がる際には、ある程度の単位をとっておかなければ留年してしまいますが、そこでなんとか留年を免れ四年生として迎えることが出来た春、四月には、初海外進出を果たしました。海外からの試合のオファーを受けたのです。隣国韓国からのオファーでした。もうこの位勝ちを重ねると、明らかに弱いような相手とは組まれません。韓国人で実績もある相手です。これもなんとか相手の打撃を耐え、後ろに回るとチョークスリーパーを決めることが出来ました。
14戦目、それから3ヶ月後、「修斗環太平洋タイトルマッチ」が決定しました。前回に続き海外、ハワイでハワイアンとの国際戦です。同じ道場の先輩も同じ大会に出るので、選手同士でセコンドしあうので、試合前はいつもより慌しく、タイトルマッチということもあり自分の試合だけに集中できなかったということもあったせいか、いつもより激しく緊張し、恐怖か武者震いか、試合前に震えるという現象を始めて味わいました。あまり気持ちの良いものでは無いので、また味わいたいとは思えないものでした。試合は、序盤打撃戦で、組み付いた自分が投げ倒して上になると、相手が後ろを見せながら立って逃げようとしたところを後ろにつき、やはりチョークスリーパーで勝ち、環太平洋王者になることができました。
15戦目、凱旋試合として組まれたこの1戦はロシアの軍隊出身者で強者という話でしたが、そこまで圧力も感じず、比較的楽にチョークスリーパーで勝つことができました。この試合により総合格闘技の国内無敗記録14戦無敗を塗り替え、同時にチョークスリーパーによる一本勝ち数も最多記録保持者になることが出来ました。
そして、最近では、タイトルホルダーということで徐々に注目度も高くなり、専大新聞や格闘技雑誌にも取り上げられる事が少なくないようになってきました。それに従い名誉欲も満たされてきましたが、まだまだ満足ではありません。
更にこれからの目標は、修斗の世界タイトルはもちろんのこと、海外のメジャー大会「UFC」という自分の階級では一番厳しい顔触れ、一番強いとされているチャンピオンがいると考えられている大会に出て勝ちあがっていくということです。
そして、始めた当初は、ただ楽しいから、好きだから練習していた、という気持ちだったのですが、最近では、勝ちを重ねる毎に大きな大会に出場する機会も増え、それに応じて試合に対する報酬も増えてきて、「格闘技で生活をする」という以前から持っていましたが漠然としていた夢が実現に近付き、夢ではないところまで見え始めてきました。
それを実現させるためにも、これからも無敗記録を更新し続け最終目標であるUFCのチャンピオンという最強の称号を獲得したいと思っています。
|
|